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平塚市 山王A遺跡 第9地点発掘調査報告書(2012年)(10457)

56ページ | 吾妻考古学研究所
2017年4月17日登録

山王A遺跡は過去に1~8地点において調査が行われている(第7地点は欠番)。8世紀~10世紀にかけて相模国府との関わりを持つ官衙関連遺跡とみられる。平成4年に実施された第4地点の調査において、掘立柱建物の柱穴掘方から「佐波理匙」が出土している。
 今回実施された第9地点の調査では、8世紀~9世紀の竪穴住居跡3軒、掘立柱建物跡3棟、土坑1基、不明遺構1基、ピット16基が検出された。出土遺物としては該期の土師器・須恵器・灰釉陶器などが出土し、特記遺物としては「厨」の墨書土器... 続きを見る

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藤沢市 片瀬大源太遺跡 第6次調査(2012年)(10424)

28ページ | 吾妻考古学研究所
2017年4月17日登録

大源太遺跡は、片瀬川左岸のミネベア株式会社藤沢製作所(旧東京螺子製作所)を中心に、東西約500m南北約600mの範囲に広がる砂丘上の遺跡である。かつては「スクモ塚」と呼ばれる古墳が昭和初期まで存在したとされ、昭和57年以降に実施された8回にわたる本発掘調査・試掘調査においても、縄文時代から中・近世までの多様な遺構・遺物が発見されている。
 今回行われた第6次調査では、近世の竪穴状遺構2条、土坑4期、ピット1基が検出され、縄文時代、弥生時代、古墳時代、古代、中世の遺物も... 続きを見る

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藤沢市亀井野不動上遺跡(第1次調査)発掘調査報告書(2012)(10423)

20ページ | 吾妻考古学研究所
2017年4月17日登録

亀井野不動上遺跡は相模野台地の南端にあり、谷戸の入り組む複雑な地形の中の南東に張り出した台地の斜面部に立地する。旧石器時代の散布地として周知されていたが、過去に調査歴はなく今回が第1次調査となった。
 今回の調査では縄文時代の小規模な土坑1基・ピット15基・倒木跡1基が検出され、加曾利E式~堀之内式にかけての土器片が少量出土した。

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神奈川県平塚市 笹本遺跡第2地点 発掘調査報告書(2012年)(10422)

74ページ | 吾妻考古学研究所
2017年4月17日登録

 本遺跡は大磯丘陵の斜面地に位置し、東側には金目川・鈴川・渋田川が合流した花水川が流れている。 
 今回の調査では、弥生時代後期~古墳時代前期の住居跡や溝状遺構、平安時代の溝状遺構、中世の溝状遺構などが検出された。

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神奈川県藤沢市 打戻坂口遺跡 発掘調査報告書(2012年)(10294)

20ページ | 吾妻考古学研究所
2017年4月17日登録

 本遺跡は相模野台地の中央に位置する。
 今回の調査では、中世~近世前半の建物跡と思われるピットが多数存在し、建物跡3棟が確認された。ピットの分布状況からみて、3棟以上の建物があったと考えられるが、狭い調査範囲内では、全容を把握することができなかった。

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神奈川県海老名市 中野桜野遺跡 発掘調査報告書(2012年)(10182)

36ページ | 吾妻考古学研究所
2017年4月17日登録

 本遺跡は相模川の左岸に位置し、相模川によって形成された自然堤防上に立地する。 
 今回の調査では、古墳時代の住居跡4軒が検出された。これらは重複関係などからみて大きく2時期に分類できる。
 中世の溝状遺構のうち、東西方向に延びる2条は、相模川に続く灌漑施設ないし区画溝の可能性がある。

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神奈川県高座郡寒川町 岡田西河内遺跡(写真図版2)(9560)

92ページ | 吾妻考古学研究所
2017年4月17日登録

本報告書は総ページ数が多いため、4分冊になります。
 本遺跡で調査された弥生時代の集落は、概ね中期後葉宮ノ台式期に営まれたものと考えられる。出土土器の様相からは大略2~3期の推移が看取された。
 古墳時代は住居跡3軒、高塚古墳2基が調査されている。古墳時代の所産と考えられる住居跡3軒は、出土遺物からみて古墳時代中期に比定される。古墳造営や葬送儀礼等に関わる仮設の建物跡と捉えられよう堀状遺構は遺跡範囲内中央を東西に直線的に走っており、西側は道状遺構と直交して消失する。... 続きを見る

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神奈川県高座郡寒川町 岡田西河内遺跡(本文2)(9931) 

228ページ | 吾妻考古学研究所
2017年4月17日登録

 本報告書は総ページ数が多いため、4分冊になります。
 本遺跡で調査された弥生時代の集落は、概ね中期後葉宮ノ台式期に営まれたものと考えられる。出土土器の様相からは大略2~3期の推移が看取された。
 古墳時代は住居跡3軒、高塚古墳2基が調査されている。古墳時代の所産と考えられる住居跡3軒は、出土遺物からみて古墳時代中期に比定される。古墳造営や葬送儀礼等に関わる仮設の建物跡と捉えられよう堀状遺構は遺跡範囲内中央を東西に直線的に走っており、西側は道状遺構と直交して消失する... 続きを見る

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神奈川県高座郡寒川町 岡田西河内遺跡(写真図版1)(9560)

198ページ | 吾妻考古学研究所
2017年4月17日登録

本報告書は総ページ数が多いため、4分冊になります。
 本遺跡で調査された弥生時代の集落は、概ね中期後葉宮ノ台式期に営まれたものと考えられる。出土土器の様相からは大略2~3期の推移が看取された。
 古墳時代は住居跡3軒、高塚古墳2基が調査されている。古墳時代の所産と考えられる住居跡3軒は、出土遺物からみて古墳時代中期に比定される。古墳造営や葬送儀礼等に関わる仮設の建物跡と捉えられよう堀状遺構は遺跡範囲内中央を東西に直線的に走っており、西側は道状遺構と直交して消失する。... 続きを見る

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神奈川県高座郡寒川町 岡田西河内遺跡(本文1)(9559)

354ページ | 吾妻考古学研究所
2017年4月17日登録

 本報告書は総ページ数が多いため、4分冊になります。
 本遺跡で調査された弥生時代の集落は、概ね中期後葉宮ノ台式期に営まれたものと考えられる。出土土器の様相からは大略2~3期の推移が看取された。
 古墳時代は住居跡3軒、高塚古墳2基が調査されている。古墳時代の所産と考えられる住居跡3軒は、出土遺物からみて古墳時代中期に比定される。古墳造営や葬送儀礼等に関わる仮設の建物跡と捉えられよう堀状遺構は遺跡範囲内中央を東西に直線的に走っており、西側は道状遺構と直交して消失する... 続きを見る