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神奈川県平塚市 笹本遺跡第2地点 発掘調査報告書(2012年)(10422)

74ページ | 吾妻考古学研究所
2017年4月17日登録

 本遺跡は大磯丘陵の斜面地に位置し、東側には金目川・鈴川・渋田川が合流した花水川が流れている。 
 今回の調査では、弥生時代後期~古墳時代前期の住居跡や溝状遺構、平安時代の溝状遺構、中世の溝状遺構などが検出された。

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神奈川県藤沢市 打戻坂口遺跡 発掘調査報告書(2012年)(10294)

20ページ | 吾妻考古学研究所
2017年4月17日登録

 本遺跡は相模野台地の中央に位置する。
 今回の調査では、中世~近世前半の建物跡と思われるピットが多数存在し、建物跡3棟が確認された。ピットの分布状況からみて、3棟以上の建物があったと考えられるが、狭い調査範囲内では、全容を把握することができなかった。

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神奈川県海老名市 中野桜野遺跡 発掘調査報告書(2012年)(10182)

36ページ | 吾妻考古学研究所
2017年4月17日登録

 本遺跡は相模川の左岸に位置し、相模川によって形成された自然堤防上に立地する。 
 今回の調査では、古墳時代の住居跡4軒が検出された。これらは重複関係などからみて大きく2時期に分類できる。
 中世の溝状遺構のうち、東西方向に延びる2条は、相模川に続く灌漑施設ないし区画溝の可能性がある。

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神奈川県高座郡寒川町 岡田西河内遺跡(写真図版2)(9560)

92ページ | 吾妻考古学研究所
2017年4月17日登録

本報告書は総ページ数が多いため、4分冊になります。
 本遺跡で調査された弥生時代の集落は、概ね中期後葉宮ノ台式期に営まれたものと考えられる。出土土器の様相からは大略2~3期の推移が看取された。
 古墳時代は住居跡3軒、高塚古墳2基が調査されている。古墳時代の所産と考えられる住居跡3軒は、出土遺物からみて古墳時代中期に比定される。古墳造営や葬送儀礼等に関わる仮設の建物跡と捉えられよう堀状遺構は遺跡範囲内中央を東西に直線的に走っており、西側は道状遺構と直交して消失する。... 続きを見る

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神奈川県高座郡寒川町 岡田西河内遺跡(本文2)(9931) 

228ページ | 吾妻考古学研究所
2017年4月17日登録

 本報告書は総ページ数が多いため、4分冊になります。
 本遺跡で調査された弥生時代の集落は、概ね中期後葉宮ノ台式期に営まれたものと考えられる。出土土器の様相からは大略2~3期の推移が看取された。
 古墳時代は住居跡3軒、高塚古墳2基が調査されている。古墳時代の所産と考えられる住居跡3軒は、出土遺物からみて古墳時代中期に比定される。古墳造営や葬送儀礼等に関わる仮設の建物跡と捉えられよう堀状遺構は遺跡範囲内中央を東西に直線的に走っており、西側は道状遺構と直交して消失する... 続きを見る

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神奈川県高座郡寒川町 岡田西河内遺跡(写真図版1)(9560)

198ページ | 吾妻考古学研究所
2017年4月17日登録

本報告書は総ページ数が多いため、4分冊になります。
 本遺跡で調査された弥生時代の集落は、概ね中期後葉宮ノ台式期に営まれたものと考えられる。出土土器の様相からは大略2~3期の推移が看取された。
 古墳時代は住居跡3軒、高塚古墳2基が調査されている。古墳時代の所産と考えられる住居跡3軒は、出土遺物からみて古墳時代中期に比定される。古墳造営や葬送儀礼等に関わる仮設の建物跡と捉えられよう堀状遺構は遺跡範囲内中央を東西に直線的に走っており、西側は道状遺構と直交して消失する。... 続きを見る

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神奈川県高座郡寒川町 岡田西河内遺跡(本文1)(9559)

354ページ | 吾妻考古学研究所
2017年4月17日登録

 本報告書は総ページ数が多いため、4分冊になります。
 本遺跡で調査された弥生時代の集落は、概ね中期後葉宮ノ台式期に営まれたものと考えられる。出土土器の様相からは大略2~3期の推移が看取された。
 古墳時代は住居跡3軒、高塚古墳2基が調査されている。古墳時代の所産と考えられる住居跡3軒は、出土遺物からみて古墳時代中期に比定される。古墳造営や葬送儀礼等に関わる仮設の建物跡と捉えられよう堀状遺構は遺跡範囲内中央を東西に直線的に走っており、西側は道状遺構と直交して消失する... 続きを見る

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川崎市麻生区 黒川明坪遺跡 発掘調査報告書(2011年)(007067)

36ページ | 吾妻考古学研究所
2017年4月18日登録

 本遺跡は多摩丘陵に位置し、東側に張り出す丘陵尾根部に立地している。
 本遺跡からは、縄文時代頃の大形倒木痕の痕跡が検出されていることから、この地域は当時森林地帯であり、陥し穴の検出はこの地が狩り場であった可能性が高いことを示している。

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板橋区 小豆沢山ノ上遺跡 発掘調査報告書(2011年)(007066)

32ページ | 吾妻考古学研究所
2017年4月18日登録

1号住居跡より、「申」の文字がある墨書土器が出土した。
中世の土坑は、火葬施設である。

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藤沢市 稲荷台地遺跡群石名坂遺跡第6地点 発掘調査報告書(2011年)(006237)

62ページ | 吾妻考古学研究所
2017年4月18日登録

 本遺跡は相模野台地南端部に位置し、引地川と境川の支流である白幡川に挟まれた「稲荷台地」と呼ばれる台地の南東部に位置する。
 この台地上には、弥生時代の著名な稲荷台地遺跡群が展開しており、今回の調査地点はこの遺跡群うち石名坂遺跡の第6地点にあたる。
 今回の調査地点からは、弥生時代後期から古墳時代初頭の住居跡群が検出されている。出土遺物は、概期の在来系土器を主体とし、畿内系の甕、東海系の高坏などを客体的に共伴する。